宗教について。 鈴木大拙に学ぶ
困るのは人気には分別意識というものがある。
七情というか、そんなものもある、怒る、泣く、悲しむというように性の他に
我々には知識というものがある、論理というものがある、
そうして何かにつけて理屈をつけたがる、
そこから始末におえぬということが出て来る。
ことに日本の近ごろの思想界はもちろん、政治の上の事でも、
一般の傾きは、何でもやたらに理屈を言わねばいかんことになっています。
理屈がこうだから、こうだということでなければ承知しない傾向になっている。
しかして実際の経験や事実は第二になっている。
これは西洋の学問が入って来て、こうなったのであろう。
それはまことに結構だが、宗教というものは、そうでないところ、
すなわち理屈のつけられないところにあるのです。
宗教には、何のかんのと、理論はこうだとか、
論理はそうでないとか、そういうこを言わぬところがあるのです。
阿弥陀さんのある証拠を立て、いよいよ信じてもよければ信ずる。
そうでなかったら信じないと、きっとそういうことを言い出す。
ところが本当の宗教の体験の上からいうと、
阿弥陀さんは、あるから信ずるのでなくして、 信ずるからあるのです。
信ずることができるからあるのです。
私は、鈴木大拙さんの考え方が話し方が、とても好きでいつも安心感がえられます。
残念なことに、私が生まれる前に亡くなられているので、
直接のご縁はありませんが、日野原先生は、大拙さんの主治医だったようですよ。
そう考えたら、近いような感じで勝手に親近感が。。(笑)
でも、変わらないことはいつの時代も同じだってことかもしれませんね。
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