2014年02月12日

宗教について。 鈴木大拙に学ぶ



困るのは人気には分別意識というものがある。

七情というか、そんなものもある、怒る、泣く、悲しむというように性の他に

我々には知識というものがある、論理というものがある、

そうして何かにつけて理屈をつけたがる、

そこから始末におえぬということが出て来る。




ことに日本の近ごろの思想界はもちろん、政治の上の事でも、

一般の傾きは、何でもやたらに理屈を言わねばいかんことになっています。

理屈がこうだから、こうだということでなければ承知しない傾向になっている。



しかして実際の経験や事実は第二になっている。

これは西洋の学問が入って来て、こうなったのであろう。

それはまことに結構だが、宗教というものは、そうでないところ、

すなわち理屈のつけられないところにあるのです。



宗教には、何のかんのと、理論はこうだとか、

論理はそうでないとか、そういうこを言わぬところがあるのです。



阿弥陀さんのある証拠を立て、いよいよ信じてもよければ信ずる。

そうでなかったら信じないと、きっとそういうことを言い出す。


ところが本当の宗教の体験の上からいうと、

阿弥陀さんは、あるから信ずるのでなくして、 信ずるからあるのです。

信ずることができるからあるのです。








私は、鈴木大拙さんの考え方が話し方が、とても好きでいつも安心感がえられます。

残念なことに、私が生まれる前に亡くなられているので、

直接のご縁はありませんが、日野原先生は、大拙さんの主治医だったようですよ。

そう考えたら、近いような感じで勝手に親近感が。。(笑)

でも、変わらないことはいつの時代も同じだってことかもしれませんね。


同じカテゴリー(学び)の記事
鈴木俊隆 禅
鈴木俊隆 禅(2019-05-14 07:53)

永六輔に学ぶ
永六輔に学ぶ(2019-01-21 21:21)


Posted by サンフラワ- at 18:02│Comments(2)学び
この記事へのコメント
「 学問とは、唯むずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽み、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云ふにあらず。」ということで、福沢諭吉も実際に基づいた学問ということで実学というものを言っていますね。

僕は、理屈は必要だけどもそれがなければ正しくないというのは誤りだと思います。

けれども、理屈もなしに正しさを知らしめるのは難しく、また理屈もなしにハナから信じ込んでしまうのはとても危ういことと思います。

どちらに片よることなく行き来出来るバランス感覚が大切だと、どこかの先生が言っていましたが、僕もそう思います。
Posted by ohtk at 2014年02月12日 18:41
ohtkさんコメントありがとうございます。

バランスが大事だと私もつくづく感じています。

仏教では、それを中道を歩くって表現してたと思います。
ちなみに私は、どこの宗教にも属していませんが。。

でも、バランスのもととなる自分自身を
知らないとバランスを自分自身ではないところで、
とってしまって気がつかないことが多々あると思います。
だから、大事なのは自分自身をしっかり知ることだと思います。

本当に、生きて行く上で大切な本質を知ることができたならば、
正しさを知らしめる理屈を知らなくても、
自分自身を心から信じることができ、
幸せな人生を歩むことができると今は確信しています。

自分を知ることは、言葉では理解できないことです。

だから、言葉を超えて知ることができることって
とても、とても、大事な体験で体感しなきゃ味わえないものかも。。

そして、そのことは、わかったようでわからない。。
ことなんだと思います。
だから死ぬまで、日々精進ってことだと思います。


だって知りたいことが、次から次へと
溢れてくる毎日だから。。
単に、私の理解力が悪いだけかな?(笑)

また、コメントくださいね。
Posted by サンフラワ-サンフラワ- at 2014年02月13日 18:37
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。